2022年の夏、ウクライナのチェルニヒウ州ヤヒドネ村で、DJが文化センターの廃墟のそばで音楽を流していた。ボランティアたちは電子音楽に合わせてがれきを運ぶ。機材は弾薬箱の上に置かれていた。

AP通信の記者ジャスティン・スパイクによれば、その片付けには200人を超える若者が参加した。建物は、その年の初めにロシアがこの地域を攻撃した際に被害を受けていた。ボランティアにとってその日は、重い肉体労働と、普段なら夜の遊びに結び付く音楽が一緒になる日だった。1

踊り、ほこり、壊れた建物、役に立つことをしようと集まった若者たち。その写真は広く伝わりやすかった。

けれども、もう少し長くこの話を見つめていると、別の細部が気になってくる。どの家から直すか、誰が決めるのか。使えるれんがはどこへ運ぶのか。傷んだ屋根がどう造られていたか、誰が知っているのか。次の週末もまたバスに乗ろうと思わせるものは何か。

こうした実際の問いを考えると、集まりを企画するリペア・トゥゲザーの活動は、さらに興味深くなる。

その仕事は、ウクライナに以前からある考え方にもつながっている。人々が集まり、それぞれの労力を持ち寄り、共同の仕事の中で役割を引き受ければ、大きな作業も可能になるという考えだ。

手伝いに集まることを表す古い言葉

トロカは、伝統的な共同労働の形を表す言葉だ。ボリス・フリンチェンコ・キーウ・メトロポリタン大学が保存するウクライナ語辞典の項目では、大きな仕事を終えるために隣人、親類、友人が集まり、賃金の代わりに食事が振る舞われることと説明されている。例には建築、畑仕事、井戸掘りがある。2

辞典に土地ごとの習慣をすべて収めることはできない。それでも、ある社会の仕組みは残せる。一人では手に余る仕事がある。ほかの人がやって来る。働くことと集まることが一つになる。

この考え方を知ると、リペア・レイヴを長い文化の歴史の中に置ける。実用と仲間との時間が混ざり合う一日には、音楽も一緒に食べる食事も自然になじむ。

もちろん違いもある。キーウからバスで来たボランティアは、助ける相手の住民を知らないかもしれない。職場やデザインスタジオ、音楽の現場で得た技能を持ち込む人もいる。関係は、作業そのものの中から始まることになる。

だからこそ、その出会いを丁寧に見たい。伝統は協力について考えるなじみのある方法を与え、人々はそれを、新しい距離や技術、必要に合わせて変えていく。

古い言葉があるからといって、段取りが自然に整うわけではない。交通手段を用意し、道具を探し、誰に連絡すればよいか把握する人が、やはり必要だ。

写真になる前に、友人たちがいた

2024年、建築誌マヤのインタビューで、リペア・トゥゲザーの共同創設者ダリア・コシアコヴァは、全面侵攻前に一緒に旅やパーティーを楽しんでいた友人たちについて語った。

初期の集まりでは、ホストメリの動物保護施設を手伝った。その後、チェルニヒウ州の被害を目にして、そこで必要とされる仕事の大きさを実感した。活動はがれきの撤去や修理、そして人が一緒に過ごす機会を中心に広がっていった。3

人を一つの部屋に集めるために知っていたことを、すべて捨てる必要はなかった。集まりを企画するには、誘い、時間の調整、連絡、また来たくなる雰囲気がいる。そうした力を、今度は別の目的に生かせた。

音楽は、その誘いを親しみやすいものにした。

2022年12月の国連ボランティア計画の報告は、音楽、デザイン、DJの経験を持つ参加者を紹介している。運営に携わるマリナ・フレビンナは、繰り返し戻ってくる見慣れた顔の大切さを語った。目指したのは、ボランティアを暮らしの一部にすることだった。4

戻ってくることは大切だ。劇的な一日は注目を集めるが、復興には繰り返し関わることが必要になる。再び来る人は道を覚え、住民の顔がわかり、自分にできる仕事を知っているかもしれない。

やがて、一日の始まりの自己紹介は、いつものあいさつになる。

れんがはどこへ行くのか

記者のマリア・スミクは2022年7月、リペア・トゥゲザーをルカシウカで取材した。ルブリカで発表され、後にトランジションズに転載された記事では、住民が到着するバスを見分けるようになった様子が描かれている。ある女性は、お気に入りのボランティアが戻ってきたか知りたがっていた。

現場では人々が列を作り、れんがを手渡ししていた。無事なものは一つの山へ、壊れたものは別の山へ。一輪車でがれきを運び出す。運営側は手袋やシャベルを持って歩き、作業の必要に応えながら、自分の家に起きたことと向き合う住民にも気を配っていた。

大工仕事などの経験を持つボランティアもいた。一方で、何をすべきか家主が知っていて、自ら作業を指示する場合もあった。5

最後の細部は、誰が誰を助けているのかという見方を変える。住民は人手を必要としていても、初めて来た人より建物についてはるかによく知っていることがある。

よい修理の取り組みは、その知識を受け入れる。問いかける。家を持つとは書類に名前があるだけでなく、記憶や好みを持つことでもあると認める。

れんがを仕分ける仕事にも、固有の手触りがある。壊れた家は、区別のない一つの山ではない。材料ごとに、その後が違う。誰かが見て、判断し、それに応じて扱わなければならない。

作業は肉体労働だが、どう行うかを形づくるのは、細部への注意である。

家の周りには暮らしがある

AP通信の記事には、当時68歳だったニナという住民が登場する。壊れたドアや窓を取り替える費用は、年金ではまかなえなかったという。修理を手伝ったのはボランティアだった。1

この話は、大きなプロジェクトを一軒の家の規模で見せてくれる。窓には具体的な値段がある。収入が限られる人にとって、その費用は、傷んだ部屋と、再び快適に使える部屋の間に立ちはだかることがある。

家の復興には、異なる時間の流れもある。がれきを片付け、構造を安定させ、屋根を替え、内装を仕上げるのは別々の段階だ。その一つの写真だけでは、すべて終わったとはわからない。

チェルニヒウ州の復興を追ったウクライナーの2023年の取材は、リペア・トゥゲザーの週末の活動と、長期滞在型の建設キャンプを区別している。9月時点の報告では、25棟がさまざまな再建段階にあった。言葉の選び方は大切だ。進行中の仕事には確かな価値があり、同時に、その先の仕事も残っている。6

こうしたゆっくりした報道は、誇らしげな「修復前と修復後」の比較より役立つことがある。資金や経験豊かな職人、継続した運営が、なぜ必要なのかを示すからだ。

待っている人の暮らしも見える。被害の写真と完成した家の写真の間で、人生が都合よく止まっているわけではない。

キャンプにも日々の仕事がある

2023年の建設キャンプ計画では、地域に長く滞在し、建設作業にワークショップ、映画、音楽を組み合わせることが構想されていた。公表された計画は、資材の再利用も重視していた。7

マヤのインタビューでコシアコヴァが語った頃には、ルカシウカのボランティアは、食事、シャワー、洗濯、インターネットを利用できる共同宿泊施設で暮らしていた。建設に加え、料理や掃除も分担した。

彼女はヴェリケ・ディウニツトヴォについても語った。建設の仕事における女性の役割への思い込みに挑む取り組みだ。取材時、そのチームは、戦争で家を失った女性のために一軒の家を建てていた。3

これらの細部は、建設プロジェクトの意味を広げる。ボランティアに寝る場所と食事を用意することも、建設を可能にする仕事だ。新しく来た人が、自分の属性を理由に排除されたと感じることなく技能を学べる環境を作ることも、そこに含まれる。

共同生活には、それなりの調整がいる。仕事の時間が終わっても、皿は洗わなければならない。コミュニティには、写真になる瞬間だけでなく、そうした小さな責任もある。

キャンプでは、学ぶ時間も長く取れる。短い訪問でもつながりは生まれる。長く滞在すれば、不慣れな仕事が、理解して自信を持って取り組める仕事になることがある。

クラマトルスクにあった、もう一つの始まり

リペア・トゥゲザーは、ウクライナのボランティアによる復興の、さらに広い歴史の一部だ。

ビルディング・ウクライナ・トゥゲザーは、ウクライナ語の略称BURでも知られ、始まりを2014年にさかのぼる。団体の沿革によれば、ウクライナ東部の戦闘後、ボランティアがクラマトルスクで窓を交換し、近くのセメニウカで家を建て直した。8

協力団体ラゾムが紹介する初期のクラマトルスクのキャンプでは、ボランティアが庭付きの家を借り、夜の集まりや映画上映、会話に地元の若者を招いた。建設が訪れる理由を作り、その後の時間が別のつながりを育てた。9

長く残る成果の一つが、クラマトルスクの公共の場ヴィルナ・ハタだった。ウクライナーの2020年の取材は、その始まりを2014年のボランティアキャンプに結び付け、後に知識が東部のほかの都市の活動家へ共有されたことも伝える。修理をきっかけに集まった人々は、集まり続け、次の行動を起こせる場所を求めていた。10

この以前の話から、文化的な場所も復興の一部になる理由がわかる。修理を終えても、その過程で出会った人々の可能性が尽きるわけではない。

その後も使える部屋があれば、新しい企画や議論、友情が育つかもしれない。つながりを続ける場所になるのだ。

文化センターの中にあるもの

「文化センター」という言葉は、具体的な建物に入るまでは抽象的に聞こえるかもしれない。

オフティルカの「人民の家」は20世紀初めにさかのぼり、1932年に「文化の家」と改称された。ウクライナーの2024年7月の取材は、地域行事や青少年の活動に使われる場を紹介している。全面侵攻前には照明や音響設備、録音スタジオが整備されていた。

2022年3月8日、ロシアの空爆で建物は被害を受けた。その後の作業では、構造を保護し、ワークショップやチェスクラブなどにも使える多目的の避難シェルターを設けた。建物は支援物資の収集と配布の拠点にもなった。11

被害を受けたオフティルカの「文化の家」。2022年4月14日撮影
被害を受けたオフティルカの「文化の家」。2022年4月14日撮影。かつての「人民の家」は、長く地域の文化活動の場だった。 写真: ウクライナ文化情報政策省 / CC BY 4.0.

こうした使われ方が、建物を大切なものにする。音響設備の向こうには出演者やリハーサルがある。チェスクラブには、互いの癖がわかるほど通ってくる人がいる。支援物資の収集場所として機能するのも、住民が場所を知り、地域での意味を理解しているからでもある。

文化の建物は、歴史を抱えながら、その中に凍り付かずにいられる。状況が変われば、部屋には新しい役割が生まれる。

だから、守るべきものは外観だけではない。利用する人々が戻れる方法と、通い続ける理由が必要になる。

建て直しながら、記憶する

ヤヒドネの歴史は、場所と記憶の関係をとりわけ難しいものにしている。

2022年3月、ロシア軍は村の学校の地下室に数百人の住民を閉じ込めた。タイムの取材は、拘束中の過密な環境、物資や基本的な条件の不足、そして死者が出たことを記録している。学校は、以前の日常的な用途をはるかに超えた意味を持つ場所になった。12

被害を受けたヤヒドネの学校に残る本、おもちゃ、教室の家具。2023年6月
被害を受けたヤヒドネの学校に残る本、おもちゃ、教室の家具。2023年6月。この建物は、村の日常の歴史と、戦時下で拘束された記憶の両方を抱えている。 写真: エンノ・レンツェ / CC BY 2.0.

ここでの復興には、何を変え、何を証拠として残すかという判断が伴う。

ウクライナの復興機関による2025年8月の報告は、住宅の修繕とともに、道路、水道設備、避難シェルター付きの公共施設、学校に関連する追悼施設の計画を紹介した。クラブ施設と図書館も、復興計画全体の中に位置付けられている。これは、その時点で報告された段階と計画であり、すべての完成を示すものではない。13

村には、記憶する場所と、日々の暮らしを続ける場所が必要だ。どちらも簡単な目的ではなく、同じ建物に対する感じ方が住民によって異なることもある。

復興の物語は、この複雑さを受け入れることで豊かになる。通りを直しても、そこで起きたことは消えない。新しい集まりの場所は、その先をどう生きるかについて、人々の選択肢を増やせる。

戻ってこられる場所

リペア・トゥゲザーと人権団体リベレコの協力には、チェルニヒウ州の青少年文化センターを改修・拡張する企画がある。両団体は、住民とボランティアが出会い、文化行事を開ける、開かれた場所を目指している。14

その願いは、物語をもう一度、人が集まることへ戻してくれる。

片付けの現場での音楽は、人々が一歩を踏み出す助けになる。定例の集いの場は、最初の招待を超えて関係性を維持する助けになる。どちらも、写真に名前が残ることのない人々の努力を必要とする。

他者とともに何かを行うことには喜びがあるが、もどかしさ、疲労、そして意見の相違もある。ボランティア活動の実りある記述は、これらすべてに余地を残す。熱意には実用的な必要性がある:資材、食事、交通手段、専門知識、そして時間。

文化的な意義は、人々が実現しようとしている生活の形態にある。彼らは、誰かが住みたいと願う家、あるいは人々が共に使えるかもしれない部屋を修復している。望ましい結果は、想像できるほどに具体的だ。

ドアは正しく開く。窓は悪天候を遮る。誰かが、損傷とは何の関係もないリハーサル、ワークショップ、あるいは会話のために戻ってくる。

最も示唆に富んだ詳細は、おそらく、ルカシフカで、すでに知っているボランティアを探していた女性のことだろう。見知らぬ人は、また会いたいと期待する誰かになった。

再建がもたらすものの一部は、また戻ってくるもう一つの理由である。

出典と参考資料

  1. timesofisrael.com
  2. wiki.kubg.edu.ua
  3. ajakirimaja.ee
  4. unv.org
  5. tol.org
  6. ukrainer.net
  7. camp.repair-together.com
  8. bur.org.ua
  9. razomforukraine.org
  10. ukrainer.net
  11. ukrainer.net
  12. time.com
  13. restoration.gov.ua
  14. libereco.org

本稿は掲載した資料に基づく文化エッセイです。独自の取材や現地報道を行ったとするものではありません。

このシリーズ

  1. 第一部 歌には、共に歌う誰かが必要
  2. 第二部 ともに作る食卓
  3. 第三部 人が集まる場所を建て直す
  4. 第四部 戦時下の満員の劇場